皆さんの記憶にも残っていると思いますが、
3年前の4月25日に起きた「福知山線脱線事故」
死者107名・負傷者562名という大惨事。
あれから3年が経つのですね。
私は西宮の家から大阪に向かうとき福知山線を使います。
今でも生々しい傷跡のあるマンションの横を電車は通過していきます。
このブログをご覧の方で知っている人もいるかと思いますが、
あの事故のあった電車、そうJR宝塚駅9:03発の電車で私は通勤していました。
3年前のあの日、とても天気がよくぽかぽか陽気で、いつものようにJR西宮名塩駅に車で向かうと、普段より渋滞が激しく、
「まぁ新年度の五・十日(漢字が分からない ごとう日)だから混んでも仕方ないか・・・1本遅い電車でも間に合うし!」
などと呑気に考えながら1本後の電車に乗り込みました。
事故があったのは9:18.
その頃私は川西池田という駅にいたのですが、なかなか電車が発車しません。
車内アナウンスも二転三転。結局復旧まで2~3時間はかかるというので、一斉にみんなが改札に。改札も人の山でパニック状態でした。
私は阪急の駅まで歩き会社に向かったのですが、その途中「どんな事故か分からないけど、ローカルニュースでこの事故のこと流れたら家族が心配するだろうな~」と思い、一応電話しました。それが9:22.
もちろん、まだテレビでも流れておらず「はぁ~」という反応。
私も実際の事故の状況を知らないまま会社に遅刻して到着。
着いた瞬間皆さんの安堵された表情と言葉。そして見せられたインターネットでの上空から撮った事故の映像。
愕然としました。
渋滞が無ければいつも通りあの電車の、しかも1両目に乗っていた私が・・・
その後、次々と安否を心配して地元の友人から東京の友人、そして泣きじゃくって掛かってきた母からの電話。
この日ばかりは電話に出ないと余計な心配をさせてしまうので、仕事中着信した電話のすべてに応答させていただきました。
あの時、本当に皆さん心配して電話を下さってありがとうございました。
私のように偶然のタイミングであの電車に乗りそびれ、運良く助かった方
そしてそのまったく反対に、たまたまあの電車に乗って亡くなられた方。
そんなことを思うと、しばらく電車に乗るのが怖かったです。
私は運良く、難を逃れたのですが
この助かった命大切にしなければいけないと痛感しています。
元々前向きな性格ですが、この事故をきっかけに
後悔する人生はいけない!と強く思うようになり
さらにポジティブに生きる決意をしたのです。
ちょっと長い書き込みになってしまいましたが、
「行動力がある」「バイタリティーがある」などと人からよく言われますが、
このような思いから、自分自身で考えて後悔の無いように生きているつもりです。
現在もあの事故の後遺症と闘い頑張っている方々が大勢います。
そして、やりきれない悲しみに故人を思う人々もいらっしゃいます。
そのような方々の悲しみや苦しみは消えることは無いでしょう。
私は「助けられた命」を背負って、自分なりの芯の通った生き方を模索していきたいと思います。
3年前の4月25日に起きた「福知山線脱線事故」
死者107名・負傷者562名という大惨事。
あれから3年が経つのですね。
私は西宮の家から大阪に向かうとき福知山線を使います。
今でも生々しい傷跡のあるマンションの横を電車は通過していきます。
このブログをご覧の方で知っている人もいるかと思いますが、
あの事故のあった電車、そうJR宝塚駅9:03発の電車で私は通勤していました。
3年前のあの日、とても天気がよくぽかぽか陽気で、いつものようにJR西宮名塩駅に車で向かうと、普段より渋滞が激しく、
「まぁ新年度の五・十日(漢字が分からない ごとう日)だから混んでも仕方ないか・・・1本遅い電車でも間に合うし!」
などと呑気に考えながら1本後の電車に乗り込みました。
事故があったのは9:18.
その頃私は川西池田という駅にいたのですが、なかなか電車が発車しません。
車内アナウンスも二転三転。結局復旧まで2~3時間はかかるというので、一斉にみんなが改札に。改札も人の山でパニック状態でした。
私は阪急の駅まで歩き会社に向かったのですが、その途中「どんな事故か分からないけど、ローカルニュースでこの事故のこと流れたら家族が心配するだろうな~」と思い、一応電話しました。それが9:22.
もちろん、まだテレビでも流れておらず「はぁ~」という反応。
私も実際の事故の状況を知らないまま会社に遅刻して到着。
着いた瞬間皆さんの安堵された表情と言葉。そして見せられたインターネットでの上空から撮った事故の映像。
愕然としました。
渋滞が無ければいつも通りあの電車の、しかも1両目に乗っていた私が・・・
その後、次々と安否を心配して地元の友人から東京の友人、そして泣きじゃくって掛かってきた母からの電話。
この日ばかりは電話に出ないと余計な心配をさせてしまうので、仕事中着信した電話のすべてに応答させていただきました。
あの時、本当に皆さん心配して電話を下さってありがとうございました。
私のように偶然のタイミングであの電車に乗りそびれ、運良く助かった方
そしてそのまったく反対に、たまたまあの電車に乗って亡くなられた方。
そんなことを思うと、しばらく電車に乗るのが怖かったです。
私は運良く、難を逃れたのですが
この助かった命大切にしなければいけないと痛感しています。
元々前向きな性格ですが、この事故をきっかけに
後悔する人生はいけない!と強く思うようになり
さらにポジティブに生きる決意をしたのです。
ちょっと長い書き込みになってしまいましたが、
「行動力がある」「バイタリティーがある」などと人からよく言われますが、
このような思いから、自分自身で考えて後悔の無いように生きているつもりです。
現在もあの事故の後遺症と闘い頑張っている方々が大勢います。
そして、やりきれない悲しみに故人を思う人々もいらっしゃいます。
そのような方々の悲しみや苦しみは消えることは無いでしょう。
私は「助けられた命」を背負って、自分なりの芯の通った生き方を模索していきたいと思います。